こんにちは、ニャン吉です。
リュウグウノツカイに関する伝説を教えてくれる?
深海魚リュウグウノツカイに関連する伝説は数多く残っています。
その伝説は日本では馴染みがある「浦島太郎」「人魚伝説」は、あまり知られてはいませんが「日本書紀」や「万葉集」にも出てくる記述で、古来から日本人に知られていた深海魚なのでしょう。
この記事ではリュウグウノツカイに関する3つの伝説を、日本国内と元になった文献、世界の伝説まで解説していきます。
リュウグウノツカイに関する伝説を知りたい方は読んでみて下さい。
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リュウグウノツカイにまつわる伝説
竜宮城の使い
リュウグウノツカイは、しばしば日本のおとぎ話「浦島太郎」に登場する竜宮城と関連付けられます。
この伝説では、主人公が海の神や龍神が住むとされる竜宮城を訪れます。
リュウグウノツカイの名前自体が「竜宮の使い」という意味を持ち、この深海魚が竜宮城からの使者であるとの考えが生まれました。
神秘的な外見と稀にしか目撃されない性質が、この伝説と結びつけられ、海の不思議や神秘に対する人々の想像をかき立てています。
人魚伝説
日本の人魚伝説は、リュウグウノツカイの特徴に基づいていると考えられています。
文献に記述される人魚の白い肌と赤い髪は、リュウグウノツカイの銀白色の体と赤い長い鰭に類似しており、上記の『長崎見聞録』の人魚図も本種に似ています。
日本海沿岸での人魚伝説の多さは、リュウグウノツカイの目撃例が日本海側でより多いことが関連しているのかもしれません。
リュウグウノツカイに関する伝説の元
日本書紀に伝わる浦島太郎伝説
リュウグウノツカイ=「竜宮の使い」=「竜宮城」=「浦島太郎」と連想する方も多いかと思います。
浦島太郎伝説は日本書紀や万葉集の記述が有名です。
現代我々が知っている浦島太郎は、いじめられていた亀を助けたお礼に竜宮城へ招かれます。
美しい王女と幸せな時間を過ごしますが、家族のことが心配になり帰郷。しかし、数百年が経過しており、王女から渡された玉手箱を開けると、一瞬で老人になってしまいます。
と言う解釈が多いのではないでしょうか?
日本書紀の記載は現在と大きく異なります。
現代語に翻訳すると
時は雄略22年(478年)秋7月のことである。
丹波國餘社郡筒川に水江浦嶋子という人物がいた。
(ある日)舟に乗って釣りをしていると、遂に大龜を得たが、龜は女性に化してしまった。
女性の放つ妖艶な魅力に引き込まれた浦嶋子は、女性を妻とした。
海に入った二人は、蓬莱山に至る。
そこで、不老不死の仙人をつぶさに目にしたのである。
日本書紀の浦島太郎における記述は54文字しかなく、原作もあったとされています。
現在の形になったのは日本書紀×日本神話(海幸彦と山幸彦)×万葉集を、庶民に受け入れやすいようにアレンジした作品とも考えられます。
稀にしか姿を現さない希少性や神秘的な姿と、のちに広まる数々の文献で竜宮城からの使者と伝説で語り継がれたのかもしれません。
人魚伝説の元になった文献は?
人魚伝説は数多くの文献に記載されています。
- 日本書紀(奈良時代)=魚にも葬ず,人にも葬ず,名けむ所を知らず
- 日本書紀(奈良時代)=八百比丘尼(やおびくに)人魚を食べた不老不死の伝説
- 古今著聞集(鎌倉時代)=網にかかった人魚
リュウグウノツカイが人魚である説は古今著聞集が最も古い文献と考えられています。
「2人の漁師が恐る恐る運ぼうとしましたが、尾の部分はまだ地面に引きづるほどの長さがあります」※古今著聞集(網にかかった人魚)
リュウグウノツカイは5m近くの個体またはそれ以上である可能性があるため、大人2人であっても引きづらなければ運ぶことは出来なかったでしょう。
リュウグウノツカイを食べると不老不死になるという伝説は、やおびくにの影響を受けている可能性も考えられます。
人魚=リュウグウノツカイだと考えるのであれば、聖徳太子の時代から江戸時代に至るまで、人魚は不吉の象徴、祟り、凶兆の言い伝えが日本には伝わっており、その影響でリュウグウノツカイが現れると日本人は本能的に不安になるのかもしれません。
リュウグウノツカイが現れると災害や地震が起きる伝説がある
現代の科学では否定されています
東海大学と静岡県立大学の共同研究チームは、リュウグウノツカイを含む8種の深海魚が地震の前兆とされる伝承を調査しました。
昭和3年から平成23年までの336件の深海魚の漂着や捕獲事例を収集し、それらの出現地点から半径100キロメートル以内で、30日以内にマグニチュード6.0以上の地震が発生したかを調べた論文を発表。
調査の結果、昭和3年から平成23年の間、関連性があったのは2007年の新潟・中越地震のみでした。
つまり深海生物と地震の関連性は迷信です。
なぜ地震や災害が起こると言われるのか?
深海魚は否定されましたが、地震前に一部の動物が通常とは異なる行動を示すことが観察されていています。
例えば、鳥が異常に鳴いたり、犬が落ち着かなくなったり、野生動物が異常に移動を開始したりするなどです。
リュウグウノツカイが地震との関連性があると噂される理由は、大きな地震の前触れとして発見された事例があるからでしょう。
科学では否定されていますが、滅多に現れない生物が現れたら不安になります。
実際には関連性がない、または関連性が非常に弱い二つの事象を間違って強く関連していると認識する現象を「錯誤相関」と言います。
分かりやすい例を挙げると「黒猫を見ると不幸になる」がいい例です。
海外のリュウグウノツカイ伝説
シーサーペント
シーサーペント(Sea Serpent)は、世界中の海洋に関する神話や伝説に登場する、海に棲むとされる神秘的な生き物です。
その描写は文化や時代によって異なりますが、通常は巨大な蛇や竜のような姿をしているとされ、海の神秘や恐怖を象徴する存在として語られています。
リュウグウノツカイと関連する記述は、「たてがみのような毛が生えていた」また蛇のような姿であったことが多く挙げられている為です。
海面に何メートルの巨体が現れれば現代でも驚きます。オカルトの分野にされていますが、リュウグウノツカイを見た報告例も含まれているのかもしれません。
リュウグウノツカイにまつわる豊漁伝説
不吉な前兆や災害の前触れと日本では扱われるリュウグウノツカイですが、海外ではそうではありません。
リュウグウノツカイの学名は「Regalecus russelii」日本語に略すと「ニシンの王」です。
ヨーロッパなどではリュウグウノツカイが現れるとニシンが大量に釣れるため、豊漁の魚とされています。
アジア諸国でも信仰の対象や神々のモチーフになった魚であるとの説もあります。
リュウグウノツカイの名前の由来は?
諸説あるが・・・
結論としてリュウグウノツカイの和名の由来に関する文献がないため分かりません。しかしいくつかの仮説は存在します。
- 琉球王国
- 龍宮
- 江戸時代以降
竜宮城は琉球王国つまり沖縄に存在したという説も存在します。リュウグウの語源は琉球に似ていること、与那国島の海底遺跡があることが信憑性を高めています。
しかし琉球とは中国の隋の時代に、中国側から見た沖縄の呼称であり、現地では753年前後に「おきなわ」と呼称されていたとされています。
日本には古来から龍や蛇の信仰をしており、海の神霊を海宮、海神宮と呼び、水の中の世界にある宮殿を「龍宮」と呼称していたことと、リュウグウノツカイの姿から和名の由来は、「龍宮」である可能性が高いと筆者は考えています。
龍宮(リュウグウ)と滅多に見られない希少性や神秘的な姿から、龍宮からの使い=リュウグウノツカイと呼ばれるようになったのかもしれません。
しかし日本書紀720年~江戸時代の和漢三寸図会1712年(江戸時代の百科事典)に至るまで、人魚の記述や浦島太郎の記述はあるものの、リュウグウノツカイに関する記述は見つかっていません。
庶民に知れ渡ったのは江戸時代以降、学問と芸術が栄えた比較的新しい時代からでしょう。
リュウグウノツカイの伝説まとめ
リュウグウノツカイの伝説は、日本の海と深く結びついています。
古来から人々の想像力を掻き立ててきました。リュウグウノツカイは海の不思議と人間の探究心を象徴する存在として、これからも日本の文化と共に語り継がれていくでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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